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心が動いたとき39

「東日本大震災」

一昨年の3月11日東日本大震災がおこりました。
私が住んでいる石巻市は大きな被害をうけました。
高校は、山の上に建てられており、海など石巻の景色が見渡せる場所にありました。
私は、いつも通り部活に行き、夏のコンクールに向けて練習をしていました。

14時46分にいつもとは違う揺れが長く続きました。

部活をしていた私たちは、校庭に非難をしましたが、吹雪のように雪が突然降ってきました。
そして、次々と近所の方々が学校へ非難して、大きな声で「津波がきたどー!」と、一人の男性が言い、校庭に非難してた人は、家族に連絡をするものの、電波が入らなく、パニック状態が続いていました。

私もその一人でした。

学校から見えた海は黒く、家を次々とのみ込んで恐ろしかったです。
学校の夜は、とても怖かったです。
何度も何度も余震が続き、寒くて、窓から見えた海は火の海で、爆発ばかり続き、眠りにつくことができませんでした。
夜中の2時頃、風向きがかわり、学校に火が迫ってくるかもしれないと言うことで、急遽近くの中学校に非難しました。
そこの中学校は、窓ガラスが割れていて、とても寒かったです。
その中学校で、4日間部活の仲間と過ごしました。
寝るときは、座布団を枕代わりにして、カーテンを布団代わりなど色々な工夫をしていました。
ご飯は豆腐1丁を約40人でわけあっていました。

2日目、3日目になってくると次々と迎えにくる家族がきて、羨ましかったです。
私は3日目の朝、家に帰ろうと思い、帰る準備をして学校を出発しました。
坂を下ってみると、車は潰れていたり、ひっくり返してたり、ヘドロの臭い、生活感溢れるものが地面に落ちていたり、まだ水が引いていなかったりと、帰れる状況じゃなかったので、私は、学校へ戻りました。

4日目の昼、私の友達の弟が迎えにきてくれました。
1時間で帰れる距離も3時間かけて家に帰りました。
家族に会えたとき、泣きながら抱き合いました。
幸せを感じました。
ですが、1ヶ月近くお風呂やまともなご飯が食べられず、とても苦痛な日々を送っていましたが、徐々に普通の生活を送れるようになりました。

私はこの震災で、当たり前のことが当たり前じゃなくなったとき、それは当たり前のことではなかったことに気付きました。
たくさんの方々に支えられ、改めて、今暮らしている生活が幸せなんだと、日々感謝しています。
そして、二度と起こってはほしくないと強く思いました。

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